スタッフ紹介 〜 歯科衛生士 大坪万莉

幼少の頃
両親・祖父母・叔母・弟・妹の大家族の長女として、昭和58年の雪の降る夜中に生まれました。(祖父は6歳の時に亡くなり、叔母は結婚して家を出たので今は6人家族です。)

赤ちゃんの頃からTVが大スキで、ベビーベッドから顔を出してニュース番組を見ていたそうです。
今でもよく年より上に見られますが、幼稚園に通っているときに1度、「中学生?」と言われたのを覚えています。
今思うと冗談で言われたのだろうと思いますが、最近まで「そんなに年上に見られていたんだ。」と思っていました。
性格はおとなしくて、鬼ごっこやアスレチックあそびはあまりたのしんでいませんでした。
小学生の時なども、「外であそぼう。」と誘われると、だいたいは「気が進まないなァ。」と思っていたように思います。

かくれんぼが強く、なかなか見つからなそうな場所にかくれて結構最後の方まで残っていました。
お友達の家にあそびに行くと、すぐマンガを読みたがりましたが、「ずーっと読みっぱなしでつまらないからダメ。」と禁止されていました。
当時、家ではマンガを読んではいけないことになっており、お風呂でこっそり読んでいるところを長いからと心配して様子を見に来た母にとても怒られたことがありました。
友達に借りた本をお風呂場に持ち込むなんて、とんでもないですね^_^;
絵を描くことが好きで、友達との交換日記でマンガのようなものを描きあったりしていました。
中学・高校時代
中学生のときに好きだったのは、2つ上のサッカー部の先輩でした。
その先輩はとっても人気があって、イチロー選手をもっと優しい雰囲気にした感じでした。
その影響で、当時V6の森田剛くんが好きだったわたしは全然タイプの違うイチロー選手のことも好きでした。

先輩と同じ学年の友達のお姉ちゃんに協力してもらい、一緒に写真を撮らせてもらったりプロフィールを書いてもらったり、バレンタインデーにチョコレートをあげたりしました。
あの時のドキドキした気持ちは、今でも良い思い出です。
銀行のカードや携帯電話の暗証番号は、当時の先輩の学籍番号をお借りしていますし。
部活はバドミントン部に所属しており、女子の部長をしていました。
といっても部長同士の集まりには男子の部長が参加してくれていましたし、なにもしていない部長さんでしたが。。。
練習には熱心に参加していました。
途中で体育館の改装工事のために、学校から2駅先くらいの体育館に移動することになりましたが、同学年の女の子が1人でも、自転車をこいで通っていたものです。
高校生の時もバドミントン部に入部しましたが、サボってばかりでした。
体育館に入るまえのランニングは友達と2人、途中で抜けてコンビニで一休みし、アイスを食べ終わった頃に体育館に行き、しばらく打った後帰ってしまうというひどい有様でした。
そしてなぜか、3年生も中ごろに差し掛かった夏の時期、仲良し5人で写真部に入部しましたが
こちらは1度も参加しませんでした。(でも卒業アルバムの写真にはちゃっかり写っている。)
わたしの得意科目は国語で数学や物理は苦手だったのですが、地理や歴史も苦手で勉強したくないという理由から、理系を選択していました。
仲良しの文系の子たちは、休み時間になっても教室の扉の外にいて中に入ってきてくれません。
男の子のにおいのする理系の教室は息苦しく、夏は地獄のようでした。
失礼なことは承知で、夏の体育の後は次の授業の先生がやってくるギリギリまで教室の外で時間をつぶしていました。
この時期は違う学校の男の子のことが好きだったりして、同じ学校の中で一緒に授業を受けているカップルに憧れていました。
同じアルバイト先の人を好きになったりしたけれど彼女のいる人だったから告白もできなくて、、と思っていたらいつの間にか違う人のことを気になっていたり、なかなか気の多い恋をしていました。
クリスマスイブには女の子4人自転車で東京タワーへ行き、カップルたちの間をわざと通り抜け吉野家でクリスマスを迎えたり、朝が起きられなくて友達に起こしてもらいながらやっとのことで進級できたりと、今振り返ってもなにやってたんだろうとくすくす笑いたくなっちゃうような高校生活を送りました。
この時期に矯正治療を始めました。
小児の時から通っていた家の近くの大学病院で勧められ、装置を付けることになりました。
いつも診てくださった小児の先生も大好きでしたが矯正の先生もとても魅力的で、先生に褒められてからはもっと歯磨きをがんばるようになりました。
高校でも、お昼休みにトイレで歯磨きをするようになりました。
最初は一人だった歯磨きも、そのうち3人に増えていきました。
この先生との出会いが、わたしが歯科へ興味を持ったきっかけとなりました。
初めてしたアルバイトはジョナサン。
その他、就職するまでに経験したアルバイトは、ミスタードーナツ、歯医者さんでは2ヵ所、和民に個人経営の居酒屋さん、ティッシュ配りや試食販売などの派遣が挙げられます。
ジョナサンは、始めてみたものの月に2、3回しかシフトを入れてもらえず、3ヶ月で辞めてしまいました。
次にしたのは歯科助手のアルバイト。
使う器具や先生に出す順番、銀歯を歯にくっつける接着剤の練り方に歯型の採り方と、覚えることはたくさんありました。
助手の女の子がたくさんいて、教えてくださる衛生士さんもたくさんいる高校生に教えるシステムがきちんとできた歯科医院でした。
しかし、帰りが遅いことを理由に両親に辞めるように言われ、辞めることになってしまいました。
辞めることを院長先生に言った日は、涙が止まらなくて仕事にならず帰らせてもらいました。
こんなにやる気をもっていたアルバイトを辞めることになり、わたしは親を責めてしまいました。
そこで「辞めることを引き止められなかったってことは、向いてなかったってこともあるかもしれないね。」と母に言われたことが、わたしの将来を決める後押しになりました。
わたしは歯科衛生士という職業に興味がある。がんばれば絶対になれる。それを証明させたい。
高校生でもアルバイトさせてくれる歯医者さんを探していましたが、なかなか見つかりません。
次に勤めたのは、家から3分のミスタードーナツでした。
年の近いアルバイトの仲間たちとはすぐに仲良くなれました。
遅くまでお店に残って締め作業を手伝ったり、夏休みには海にも泊まりに行きました。
今でもそのときの仲間の数人とはたまに会っています。
家が近いのになかなかお店に行かないのは、この時期に体系が変わる程太ってしまい、ドーナツの危険性を学んだからです。
専門学校の頃
当時一緒に働いていた歯科助手さんの2人が入学したところと、同じ専門学校に進学しました。
その先輩の名前を学校で見つけたときは、本当に嬉しかったです。
避難訓練のときに見かけたけど勇気を出せずに声をかけられなかったことは、その後もずーっとずーっと後悔していました。

最近お会いすることができ、「地元のカラオケ屋さんで働いているときに、何度も来ていたね。」と言われたときには、もう会えることはないかもしれないと思っていたので拍子抜けしました。
声かけて欲しかったなァ〜。。。
このとき、わたしは歯科医院でのアルバイトをしていました。
高校からの帰り道、一緒に帰っていた親友がアルバイト募集の張り紙を見つけて「家からも近いしだめもとで行ってきな!」と背中を押してくれたおかげで、また良い先生やスタッフの方たちと巡り会うことができました。
とはいっても学校での勉強とは別物です。
授業中の睡魔と闘いながら(連敗しながら。。??)なんとか学んでいきました。
実習ほど緊張するものはなく、いつもお腹痛いなァ〜と受けていました。
歯科医院のアルバイトと掛け持ちして、居酒屋さんでもアルバイトをしていました。
どちらも週1、2回程度しか入っていないので、効率悪いねぇと周りに言われながらもたのしんで働いていました。
国家試験の直前まで働いていた個人の居酒屋さんでは、たくさんのことを経験しました。
色々なお客さんがいて、色々な方たちと知り合えました。
毎日の過ごし方や考え方の1つ1つが、何年先や何十年先のわたしを作っていくのです。
と、毎日思うことはありませんが、たまに思うようになりました。
一緒にお仕事をした従業員の方や常連客の方たちとは、アルバイトを辞めてからも仲良くさせていただいています。
一緒にお話をしていると、たまに見失ってしまう将来の自分を見つけることができるように思います。
いつかわたしも、年下の友達に同じようなことをしてあげたいです。
自由が丘矯正歯科クリニックに就職して
1年目のときよりも、だんだんと社会人らしくなってきたように思います。
生きていく上での目標や将来の自分の理想像を持つこと、社会人としての物の考え方や自覚など、たくさんのことを教わっています。
わたしに仕事や責任を与えてくださっている先生やスタッフのみんなのため、来院してきてくださる患者さまのためにこれからもがんばっていきます^−^



