MENU

副院長 成田清子|スタッフ紹介|歯列矯正なら自由が丘矯正歯科クリニック(東京)

診療相談予約

副院長 成田清子

副院長 成田清子

1995年東京医科歯科大学歯学部卒
歯科矯正学第1講座入局
2001年自由が丘矯正歯科クリニック副院長
2002年日本矯正歯科学会認定医
 

私が生まれた1970年は、ちょうどオイルショックのころです。2人姉妹の妹です。今までずっと「あー、次女っぽいね〜」と周りから言われてきましたが、はっきり言って、意味がよくわかりません。

 

神奈川県厚木市で、自然に囲まれて育ったことを自慢に思っています。

 

父親は実直なメーカー勤務のサラリーマンで、母はとても社交的で、かつ真面目、几帳面な性格でした。そんな両親は今でも私が頼りなく見えるらしく、何かとお世話になっております・・・ってやっぱり次女ですね!

子供時代

子供時代

小さいころは外で遊ぶのが大好きで、決して運動神経はよくありませんが、今でも体を動かすことが好きです。

 

反面、小学校低学年のころは、喘息もちだったので、学校を休むことも多く、肉体的、精神的に弱めだったように思います。

 

そんな私が少しずつ変わって自信をつけていったきっかけは2つあります。

 

1つは、小学校2年生から5年生までかかさずつけていた日記です。宿題になったのをきっかけにはじめた日記でしたが、書くことが好きで、その後もずっと続けていました。それを先生にとても褒めていただき、嬉しかったことを覚えています。「カリスマ体育教師」として有名な原田隆史先生は、「心が強くなるということは、何か困難を乗り越えることではない。小さな、誰でもできることを誰もできないくらい続けることだ」とおっしゃっています。そんな大げさなことではありませんが、自信を持つきっかけになりました。

 

2つめは、5年生の夏に参加した、市の水泳大会に向けての学校の強化訓練です。プール開き後からは放課後、夏休みに入ると午後毎日、水泳三昧の日々を送りました。泣く子も黙る厳しい先生がいて、日を追うごとに参加者は減っていきましたが、親友と一緒に最後まで頑張りました。台風の日、飛び込み台から見たきれいな稲妻は今でも鮮明に覚えています。学年や男女を超えた友情みたいなものを感じたのも嬉しかったですね。

 

こんな私でも頑張った甲斐あって、大会に出場することができました!結果ですか?!失格でした!!!!笑えますね〜。記録には残りませんでしたが、あれだけがんばったことが私の大きな自信につながり、記憶に残っています。(どこかできいたセリフですね)

 

日焼けのあとがまだくっきり残っているその年の秋、矯正治療を始めることになりました。当時出っ歯で、八重歯もあったように記憶しています。男の子たちから「ビーバー」とからかわれることもあり、子供心にも歯並びのきれいな友達のことを、うらやましいなあ、と思っていました。矯正をはじめたきっかけは、かかりつけの歯医者さん(宗近先生)のすすめでした。宗近先生は患者さんにとても慕われていました。歯のことだけでなく、生活に関すること、健康に関することなど、いろいろ教えてくれており、宗近先生の勧めなら、と両親は私に矯正させることにしたようです。治療は、自宅から約2時間かけて御茶ノ水の大学病院(宗近先生の出身校)まで通いました。初診相談の日、宗近先生が私たち親子を車で大学病院まで連れて行ってくださり、直接紹介してくださいました。その先生に親切さに感動したのか、その時のベンツの乗り心地に感動したのかは微妙ですが、そのことはよく覚えています。今思い返すと、その親切な宗近先生との出会いが、私が歯医者になりたいと思ったきっかけだったようにおもいます。

 

当時、母にも矯正治療に関する知識はまったくなく、もちろん学校中にも矯正している友達など一人もいませんでした。高い治療費を払い、2時間もかけて治療に通わせる決断をしてくれた親には、とても感謝しています。私も今親となり、子供にとって本当に大切なことをきちんと見極められる親でいたいな、と思います。

思春期

中高は、一貫の花の女子校。楽しかったなあ〜

 

個性的で多才な友達に囲まれて、「平凡だけど癒し系」という立場でした(あくまで自称)。

 

「いつもニコニコしてる」、「平安時代だったら美人だったのに」・・・!!とかよく言われました

思春期

学校大好きでした。箸が転がってもおかしい年頃なので、毎日本当に良く笑いました。

 

まさに「感性を磨く場」で、受験より情操教育を重視する学校だったので、内面の成長についてよく考えさせられました。キリスト教の学校でしたので、毎朝礼拝、説教があり、そこで先生方から聞いたたくさんの話は、人格形成に大きな影響を及ぼしていると思います。「for others」というのが学校の基本理念でした。多感な年頃を一緒に過ごした友達はやはり格別です。今でも時々会うと、とても刺激を受けます。

 

進路についてはいろいろ考えました。小学校5年から中学3年まで矯正していたので、歯医者さんは身近だったこと、人と接する仕事がしたいなあ、と思ったことが理由でしょうか、歯学部進学を決めました。

大学・医局時代

大学は久しぶりに男の人と一緒だったので、新鮮でしたね〜。

 

テニス部に入ってちょっと青春っぽかったです。テニス部は比較的拘束時間が長く、純粋にテニスやトレーニングをしている時間より、人の応援や球拾いなどに費やす時間のほうが圧倒的に長く、それを無駄と考えてやめる人も多かったのですが、テニス部の仲間が好きだったことと、最後までやり遂げたいという気持ちで、引退までなんとか頑張りました。いまでもおつきあいさせていただいている友達、先輩など、私の貴重な財産です。

 

講義や実習は過密で、真面目に取り組んでいました。時折院長に、「○○先生の授業でこういうこと習ったでしょ」「○○でこういう実習やったでしょ」とか言われて????のときもありますが・・・。院長はまためちゃめちゃよく覚えてるんです。

 

やはり矯正の実習が好きでした。その時のライターが一生の恩師と思える人で、その先生を頼って矯正科に入局させていただきました。その先生が実習中に、「おまえうまいなあ、才能あるぞ」とよく言ってくださり、ブタがその気になって木に登っちゃった格好です。矯正科の医局に入局させていただき、そこで5年間も学ぶことができ、教授、担当ライターにはとても感謝しています。厳しくも温かい指導をいただき、今に至っております。先生の教え子として恥ずかしくない矯正医を目指しています!

 

矯正治療は、人生のQOLを高める素晴らしい治療だと思っています。装置が外れた時の皆さまの笑顔は歯科医として大きな喜びです。また、何年にもおよぶ治療を通して患者様の人生の一部に関われることにも大きな意味を感じています。宗近先生のように、歯医者としての枠を超えてみなさまとお付き合いができることを目指しています。

 

今思えば、その時々で、素晴らしい人たちに囲まれ、支えられて今の私があるのだなあ、と思います。これからも、接する多くの人から学び、私も皆さんの素晴らしい人生に貢献できればいいな、と思います。

PAGETOP